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▼フェミニストさん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪女性≫
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私も、私なりにフェミニストのつもりです。
二人の子供達(男女)も、同じように育てました。
おもちゃも、いろいろなおもちゃを与えました。
その中には、典型的に女の子用のも男の子用のもありました。
結果的には、男の子はかなり典型的な男の子に育ち、
女の子はかなり典型的な女の子に育ちました。
二人とも、それなりにかなり優しい人間ですし、
男の子は、今もぬいぐるみも大好きで、
女の子は、機械的なことも興味がありますが、
それでも、全般的には男の子は男の子らしく育ち、
女の子は女の子らしく育ちました。
二人とも料理の手伝いをしますし、
男の子の方はアルバイトも料理関係をしているほど料理が大好きです。
二人とも、自立できるような用意ができるようになれば良いと思っています。
その一つは料理でしょう。他にも色々なことがあります。
ちょっとした修理ぐらい男性も女性もできる方が便利でしょう。
家事は、家周りのことで、家に住む人ならある程度はできることを期待されると思います。男だって、家事ができなければ、一人で自立した、それなりに良い生活はできないでしょう。
私が良く理解できないのは、なぜフェミニストさんが料理を学ぶチャンスを得ているのに、それについて否定的な感情になってしまうのかです。兄は学ぶ機会を得ていないというのは、自立のための技能を身に着ける機会を奪われているということになります。
私は男だけれど、そういう機会があれば、積極的に学ぶ機会にするだろうと思います。その機会を得ているフェミニストさんは幸運だと思います。それは文句を言うようなことではなく、特に「フェミニスト」としては、自立して良い生活を自分だけでも維持して行くための技能として積極的に自分のものとするべきだろうと思います。
「しないこと」で平等になろうとするのではなく「すること」で平等になろうとする方が、本当のフェミニストのあり方だろうと思います。私の友人の女性で、やはりフェミニストがいますが、私が良く理解できないのは、女も男が楽しむタバコを吸う権利があるのだからと言ってタバコを吸っていることです。確かに吸う権利は認めるけれど、権利があるからと言って、自分の健康を害する行為をしていることは、私には愚かなことだと思います。それはフェミニストかどうかということではないし、女性の権利かどうかということでもなく、健康な生活ということだと私には思えます。
料理をするかどうか、料理が上手かどうかも、自分だけでも良い生活ができるかどうかという技能の問題だと思います。それを自分から「持たない」ことを望むのは、より良いフェミニストの方向性とは正反対の方向だと思います。
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