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わたしも絶対に知り合いたくありません。
イジメやセクハラというのは、それを受けた人がそれをイジメやセクハラだと判断すればもうイジメとなる、と定義づけて良いと思います。
わざとであろうと、わざとでなかろうと、Aさんが嫌だと受け取る事を、Bさんはしてしまったのですから。
まあそれは理屈で、違うのは、悪意がなかったのなら、Bさんは『Aさんが傷付いている』という事を知った時点で謝るでしょう。実生活で考えれば、その誠意がきちんとAさんに伝わって、Aさんも許す場合が殆ど、と見てよいと思いますし。
悪意があって、BさんがAさんを傷つけたのなら、それはもう完全なイジメです。(例えば『頼むから死んでくれる?』という言葉に悪意が無い、とどうして言えるでしょう)
確かに、そういう事を利用して、大げさに、色々な嘘をついたりする人はいます。
けれど、ただの嫌がらせ、からかい、という言葉では済まされないイジメ、深刻にその人が死まで追い詰められる様な出来事もある、という事を、おそらくこの人は知らないのでしょうね。実際にそれを目にしたら、そういう目に遭ったら、絶対にそんな事はいえないと思います。
自殺が個性?冗談じゃない、と言いたいですね。
イジメによって、『個性』を砕かれてしまったから、『人と違う自分』を、『自尊心』を『自分を支える柱』を、それらを粉々に砕かれてしまったから、自殺という闇に倒れこんでしまうんですよ。
人を傷付ける風習がなくならないのは、おそらくこうやって開き直っている人がいるからじゃないか、と私は思います。
イジメがどうしていけないか、って言ったら、目に見えない心に深刻な傷をつける場合があるからですよ。大体イジメは犯罪です。
確かに境界線なんて無いのかも知れない。
けど、境界線が無いが為に、その為に苦しんでいる人がいる事、また、歯止めが利かなくなってどんどん酷いイジメをしてしまう人がいるんだ、という事をどうか分かって貰いたい……
例えば通り魔殺人で殺されてしまった方がいますよね。その犯人が『この殺人は俺の個性だ!殺人という風習はなくならない。個性で殺人を犯すのがどうしていけないのか?』と言った時の遺族の立場は……?という事になるのだと思います。
イジメられる方にも問題がある、と言うけれど、じゃあ問題があったらイジメをしていいのか、って事だし。
『○○なんだから××と言われても仕方が無い。当然だ』と風潮は、全ての差別や偏見を許容してしまう事。絶対に無くすべきなんです。
愚痴、と悪口、は違うし、指摘or対等な話し合い、とイジメ、は似ているようでいて全く違います。
……って、ごめんなさい。ちょっと棘のある文体になってしまいました。私情混ぜすぎたな〜(>_<)
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