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▼紗羽さん:
>≪厳しい意見はご遠慮ください≫
>≪女性≫
>≪16〜19歳≫
>板違いかもしれませんが、どこに書き込むべきか判断がつかなかったので、ここに書き込ませてもらいます。
>
>私は、他人とつきあうのが、苦手です。
>小学校のときは、いじめられていました。けれど、中学は、他所の学校の子も混じっていて、いじめていた子ばかりではなく、私に対して普通に接してくれる人も、わりといました。
>高校では、中学、小学校の同級生などほとんどおらず、いじめられることもなく、普通に過ごせていたと思います。
>
>けれど、いじめられていた、仲間はずれにされていたわけではないのに……なぜか、人とうまく付き合うことができませんでした。
>今もそうです。
>
>なんというか……他人と、どういう話をすればいいのか、自分はどうすればいいのかが、わからない感じなのです。
>
>だから、できるだけ、他の人の行動や言動を見て、それを真似てみたりもするのですが、どうしても、不自然で、自分に無理をさせているのが、自分でもわかってしまって。
>
>それに、明らかに『作り物』の自分で、他人に接するのは、やはり、よくないことのように思えます。
>でも、作り物の私のほうが、本当の私よりも、波風立てずに周囲の人と接することができるのです。
>
>本当の私は、とても汚い人間なんです。
>顔が醜い、とかではなく、心が汚い、思いやりのない、冷たい人間で、自分勝手で、わがままで、他人の迷惑を考えているふりをしながら、結局は自分のことしか考えていない、最低の人間なんです。
>
>そんな自分を、他人に知られたら、きっと嫌われてしまう。
>そんな恐怖感から、どうしても、他人の前に立つと、人のいい、うその自分を演じてしまいます。
>けれど、それも長続きせず、すぐに疲れ、そして、人といるのがイヤになる。
>
>自分を、もっとよくすれば、よいように変えていけばよい。
>そう、思わないわけじゃありません。
>ただ、私は、自分がよくない人間だとわかっているけれど、それでも、私よりももっとよくない人がたくさんいる、そして、そんな人たちでも、そのままで社会に受け入れられている、どうして、私だけが自分を変えなければいけないのだろう。
>そんな、嫌な風に考えてしまうのです。
>
>そして、私自身、今の自分が、社会の常識に照らせば、とてもよくない、汚いと解っているのに、それでも、今の自分が好きなんです。
>今の自分を、急に壊したくないと思っているんです。
>他人の側に、無理をして、自分を変えて、嘘をついているときよりも、
>ありのままの自分でいるときのほうが、楽しいんです。
>
>けれど、その、ありのままの自分は、他人には受け入れてもらえません。
>以前に、素の自分をさらけだしてみたことがあるのですが、そうしたら、その相手は、私を嫌いになりました。
>何度か、私は、自分をさらけだしてみたことがあります。
>けれど、そうしたら、とたんに、相手の態度が冷たくなったり、乱暴になったり……うまく言えないけれど、私に対して、きつく当たるようになるのです。
>
>だから、私は、自分をさらけ出すのが、本当の自分を表に出すのが、とても怖いです。
>
>けれど、自分に嘘の仮面を被せて、人と接し続けるほどの体力もないので、結局、最後には、誰もいない、一人になってしまいます。
>いえ、私のほうが、人から離れてしまうのです。
>
>そうして、一人でしばらくいると、今度は、一人が寂しくなって、また、人の側に寄って行って、嘘をついて、疲れて、相手を傷つけて、離れる。
>この繰り返しです。
>
>学生のときは、1年で、周囲の人間が代わっていきます。クラス替えや卒業で。
>けれど、社会人になったら、ずっと、場合によっては、一生、同じ職場で、顔を付き合わせる相手ばかりになるでしょう。
>
>そうなったとき、私は、きっと、嘘の自分を維持できず、何度も職を変える、そんな不安定な人生を送ることになるのではないか。
>
>一体、どうしたら、こんな私でも、まともに社会に入れるのでしょうか。
>社会に適応できる自分を、創り続けなければいけないのか、それとも、最低の私を受け入れてくれる場所を探し続けなければならないのか、それとも、他に方法があるのか……
>すみません、支離滅裂で。
>
>今、なにかとても心が苦しいのですが、それがどうしてなのか、論理立てて考えられませんでした。
>
>ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
>乱文乱筆、失礼いたします。
子供というのはどこまでの自己中心的な考えですよね。
それがだんだん大人になっていくにつれ社会性(常識や協調性)を身につけていく。
貴方はその点では「これから」という段階だと思います。
いろいろ失敗しながら経験を積んでいくところです。
ですから、そのような悩みはむしろ当然だと思いますよ。
誰しも、自分と周囲の人々、自分の住む環境とうまくやっていくかを考える(悩む)んです。
なんとか適応しようとするわけです。
そのしがらみの過程で、自分の好きなことばかり、わがままを通していてはやって行けないと知る。
だから、どこでなら、どの程度本音の自分を出せるかを考えるようになるんです。
仕事をする職場ではなかなか出せませんよね。
でも気の合う親しい友人同士ならそれもできる・・。
みんなTPOを考えて本当の自分を出しているのだと思いますよ。
その意味では社会性という「仮面」は誰しもが持っているんじゃないのかな・・。
ただ、貴方の場合は、ウソとありますが、ウソは必要ないのだと思います。
ウソをついても人間界では必ずバレてしまうものなのです。
これは必ずバレます。
ウソは相手を裏切る事であり、信頼を失うものです。
ですから、自分を守るためのウソをつくのではなく、
相手を傷つけないための最低限の配慮さえしていればいいのではないですか?
そして、普段の生活では7〜8割ほどは素直に自分を出していてもいいのだと思います。
あとの2割で相手に対する配慮と言う点で意見をあわせてもいい。
「そういう考え方もあるよね・・」とか言い方はいろいろある。
それはあくまでヒズミを生まない配慮として許されるのではないのかな・・。
それは「思いやり」ともとれるものです。
まあ、こういうことは自然に覚えていく事だと思いますから、
とりあえず人とは関わり続けていくことが大切ですよね。
貴方の長所を認めて、短所も知っていてくれる友人はいずれ必ず現れます。
そういう親しい友人が1人でもいれば人は生きていけると思うんです。
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