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▼ねこの手さん:
>ki-oさん、初めまして、ねこの手と申します。
>
>私は、ki-oさんの事を「自分の信念」と「他への思いやり」の両方をお持ちの方だと感じました。
>
お見透かしありがとうございます。
>難しいのは、バランスとタイミングでしょうか?
>「自分らしく生きること」も「確固たる信念」も両刃の刃です。
>1つ間違えると、自分に跳ね返ってくると思います。
>またそれによって、傷を負うひともあるかも知れません。
>沢山のひとがいるように、沢山の感じ方があるからです。
>
>ただ、故意に相手を傷つけたのではないのなら、自分を「加害者」などと卑下することは、お止めになった方が良いと思います。
>そこからは、きっと何も生まれないと思います。
>
>自分を通すことで、他との距離を感じるのであれば、歩み寄ることが出来ないかを考えてみてはいかがでしょうか?
>100%「自分」の考えがまかり通る世界などは、残念ながらないんですよね…?
そうですね・・・そうかもしれません。
>使い古された言葉ですが、「相手を許す」ことの難しさ。
>でも、相手を受け入れつつ、自分の思いを貫く道もあるはずです。
なるほど。
>それは、これからki-oさんが試行錯誤して見つけていく道なのではないでしょうか?
>その道の先には、笑顔のki-oさんがいらっしゃるように思います。
>
>すごく偽善的に聞こえてしまったかも知れませんが、ご自身がとても傷ついていらっしゃるように見えましたので…。
>(よけいムカついたりして…?^^)
>
>長文、失礼いたしました。
すごく、分り易かったです。ありがとうございます。
故意に傷つけようとした傷でなければ、許されるのなら、私は救われます。その壁にぶつかってはいつも自己嫌悪に陥っていました。また、自分の道、意思に疑問を感じていました。人を傷つけてまで(無意識に)、己に忠実に進む必要があるのかと。いっそのこと、私を知る人がいなくなればいいのにと思う時もあります。
ねこの手さんが仰った歩み寄る事は、私に欠けている所だと思っていました。傷つけたくないから、親しくならないような人との付き合いをしています。冷ややかな私を人は避け、私もそれで犠牲者が出ないなら、と思っていました。
だけど家族の場合は嫌でも縁があるので、そこでこのままでいいのかな、と思うようになったんですね。
受け入れる事、歩み寄る事、私は自分ばかり見ていたのかもしれません、できたらいいなと思います。
上手く言えませんが、ねこの手さんの言葉で自分自身何か見えた気がしています。人を思いながら、自分の道を切り開く方法をしたいと思います。
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