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▼破戒僧さん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪男性≫
>≪30代≫
>16266で創価学会につての話がありました。
>その中で色んな人の様々な意見を拝見させて頂きました。
>創価学会員の方の話、体験談、クリスチャンの方の話など大変興味深く読ませていただきました。
私も、長いレスを書いたのですが、書いている最中に、送るのはやめました。それは、簡単には書けないものだと思ったからです。誹謗中傷ととられかねない書き方以外にはないように感じたのも一つの理由です。簡単に言えば「本音とタテマエの大きなギャップ」ということになりますが、それでは具体的に何を言っているのかが分からないでしょうし、具体例を示せば、個別のことになって、個が全体を表すことを示すのには、これまた長く書かなければならなくなってしまいます。
>読ませて頂いている内に一つ疑問が湧いてきました。
>そこで、皆さんにお伺いしたいのですが、皆さんにとっての宗教とは一言で言えば何になるのでしょう?
>できれば、その理由もお聞かせ下さい。
これも、「ひと言」では言えないでしょう。
私はそう感じます。
強いて言えば、私は「宗教」と「宗教団体」を分けて扱うということが私にとっては大きいことだということです。私は「宗教団体」にはあまり良い印象がありません。それは、短所が多い人間の集まりだと感じるからです。当然でしょう。それを、理想社会のように扱うようなことは、私には不可能です。だから、宗教団体からは距離を持って生きたいと感じています。
それに比べ、宗教思想や宗教が語る言葉には耳を傾ける価値があると感じています。それは今までの人類の歴史(人類の経験の積み重ね)の一方の集大成という意味があると感じるからです。私達(私自身)が存在する意味とその目的についての洞察が感じられると思いますし、心の満足がどのようにして達成が可能なのかについて教えるところが多いと思います。
宗教団体の価値は、その価値を認められるなら、人と人との繋がりを感じられる場になり得るということだろうと思います。具体的な利害関係が持ち込まれない「宗教団体」であれば、特にその価値は大きいだろうとも思います。ただし、この分野の価値は、「宗教団体」である必然性はないだろうとも思います。ライオンズ・クラブやロータリー・クラブといった「クラブ団体」には、人と人との繋がりや、社会的貢献と言った目的を達する部分があると思います。
ただし、宗教団体であれば、経済的背景や社会的背景が異なる人同士が交流する場になり得るということで、他にはない価値があるとも言えそうです。
私が宗教団体に良い印象を持たないのは、まったく理想社会ではないのにも関わらず、理想社会的に扱う傾向があることと、宗教団体というピラミッド社会の頂点にいる人間を、さも英雄のように扱う傾向があること、そして、神の代理的な存在としての傲慢さを感じることです。
宗教団体と宗教思想、特に中心的な教えそのものと宗教団体そのものとを分けて扱いたいと思います。
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