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▼ひよ子さん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪女性≫
>≪20代≫
>社交的な理由のためにつく嘘。
>いくら相手が気を悪くしないようにする為とはいえ、良心が
>イエスとは言わないときもあり悩むことがあります。
>
>例えば、友人からの誘いに対し、お金や気分、その他もろもろの
>条件がそろって行きたくない理由があり、なんらかの理由を作って
>断るときの嘘。レポートの提出が遅れたことに対するちょっとした嘘。(これ
>は自分のメンツを守るための嘘・・)母に女性の友達と出かけると言い、実は
>男の人とのデートだったりする嘘。
>
>成人してから何回嘘をついたんだろう。いくら社交的理由とはいえ、自分が
>嘘と虚栄の泥で塗り固められていく気がして、汚されていく思いがする。
>どうしても相手に誠実ではない気がする。そしてその事実が罪悪感を感じさせる。
>自己の利益しか考えていない、卑怯な生き物になっていくような気がして
>ならないのです。
>
>みなさんはこのような「嘘」に対してどのように対処されていますか。
「必要悪」という考え方をしています。
考えてみてください。
「成人」になってから…というけど、成人してから生ずる立場や責任があるじゃないですか?
感情よりそちらをまず優先する社交性を「大人」と呼びます。
少なくとも、仕事をしている人から何度かその言葉を聞きました。
そして、自分のプライドと良心が争う場合。
相手が気を悪くしないように気を使っているだけ、実に「良心的」。
恥ずかしくないと思うんだけど。
「自分が許せない」のが許せないんだったら、
自分とうまく折り合いをつけていくしかない。
それにある程度年齢を重ねると実感することだけどね、
自分が思っているほど、自分以外の人間て、
自分に対して気を使っていないという事実。
もうすこし、自分の行動を優しい目で見てあげてもいいんじゃない?
少し、厳しすぎるような気がする。
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