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▼どらぽえさん:
自分のあり方に自分なりに納得していればそれで良いだろうと思います。
自分が納得しているあり方が理由で、他人との間が不愉快な状態になる傾向があるのであれば、そういう状態になる傾向について納得しているのかどうかを感じてはどうでしょうか?それも自分なりに納得しているなら、他人がどうこう言えないだろうと思います。
そうではなくて、自分の言動に納得できないところがあるなら、一番納得できないものから、納得できる程度にするように努力するしかないだろうと思います。一番気になるところ、今すぐにでも直したいところから、直す努力をするしかないでしょう。
挨拶するということは、まず、お互いの存在を認め合うという意味がありそうです。私がここにいること、そして、相手がそこにいることを認識していること、同じ「場」に二人ともいること、つまり「場」を共有していること、コミュニケーションが可能な同士であることを期待していること、無視していないことを示すこと、敵対心を持っていないことを示すこと、不意打ちをするつもりがないこと、そういういろいろな意味のあることを内に含むことが「挨拶する」ということのように感じます。普段は自動的のように挨拶していますが。
だから、「挨拶しない」ということは、相手の存在を無視していることになり、自分の存在も無視して欲しいということにもなるでしょう。通常、人は自分の存在を認めて欲しいものです。自分の存在を否定されると、悲しみや怒りや痛みを感じるものだと思います。つまり、不愉快に感じるものです。理由無く自分を不愉快にする人には良い感情を持てないでしょう。そうすると、その場の雰囲気が悪化するでしょう。
心を込めて「挨拶する」ことは、その場の雰囲気を友好的にすると思います。雰囲気を和らげます。和やかにします。居心地の良いものにします。心が打ち解けるキッカケになります。その場にいる自分にも良い影響をもたらすことになります。
だから、「挨拶する」のは、人間関係の基本中の基本なのです。挨拶をしなければ、「胡散(うさん)臭いヤツ」ということになってしまいます。
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