|
▼エメラルドさん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪男性≫
エメラルドさん、こんばんは。
>僕は自由が好きです。
>しかし最近は自由という言葉が嫌いになりつつあります。
>自由とは本来、自らを由とする(自分に責任を帰す)という意味ですが
>自由は「なんでも好きなようにする権利」だけだと思っている人が多いように感じて悩んでしまう事が多く、この「なんでも」悩み相談にカキコしました。
>
>数年前、別の悩み相談サイトで、医療ミスで体を傷つけられた女性の悩みに対し、家族を傷つけられた経験のある僕には痛いほど気持ちが分かったので、「恨むことはいつでもできる。悩んで自分を苦しめるよりも、今何をすべきかを考えてみては?」と助言し、彼女は立ち直れました。でもその後で、精神世界系の人たちが異口同音に彼女にアドバイスを始め、「すべてはあなたが生まれる前に計画したことなのです。あなたを傷つけた医師は、あなたの学びのためにあえて損な役割を演じたんです。彼はホントはあなたの魂の友だちなのです」などとカキコをしてきました。
>
>後日、そんな考えの人たちの集う精神世界系サイトの掲示板を訪問し、「すべてが計画されていたっていうことはないと思うんですが、それじゃあ、被害者は加害者に感謝しなけりゃいけないんですか?」と聞いたら、共感の意見と同時にあったのが、「人それぞれ考え方は自由なんだから、なんでもアリでいいんじゃない?」という意見でした。
>
>僕は自分とは違う考え方の人も受け入れる努力をしたいと思っています。しかし、他人に重大な影響を及ぼすようなことを根拠もなく言うことが自由だとは思えません。根拠すら自由だと言うのなら、根拠を聞かせてほしいと言っても、答えはありませんでした。
>
>先日のアメリカの大統領選挙で、ブッシュ支持のある女性有力者に記者がインタビューし、「なぜアメリカが世界の警察になろうとするのか?」と聞いたら、彼女は「なぜアメリカがなったらいけないの?」と聞き返し、記者が「他の国々の人たちはアメリカの戦争を支持していない人が多いようだが」と聞くと、彼女は「我々の国の問題だから他の国は関係ないわ」と言いました。世界の警察になりたいと主張しながら、世界の意見には耳を貸さないという自由。。。
>
>以前、インターナショナルスクールの7歳の生徒に、「静かにしなさい」と教師が注意したら、坊やは答えました。「僕には話す権利がある!」
>
>以前、僕がいたグループのリーダーを決める時、二人の先輩が候補に挙がり、意見は対立していました。僕は双方の意見を聞き、どちらにも納得できる部分とできない部分があると言ったら、後で他のメンバー達に陰口が囁かれていたそうです。「あいつはどっちに転んでもいいように状況を見ている」と。違う意見があるのなら、否定のための批判でなく、正面からぶつかって議論すれば、新しいものが生まれるかもしれない。。そういう発想よりも、対立だけが生まれ、しばらくすればお約束とばかりに穏健派の誰かがでてきて「考え方は個人の自由だと思う。相手のことをとやかく言わず、なんでもアリでいいんじゃない?」となって、けっきょく何も生まれない。
>
>自然を観察していると、そこには自然の秩序がある。
>何をしても自由、何でもアリの世界はそこにはない。
>
>「個人の自由」と「何でもあり」の無責任な人間たちによって、
>今日もどこかで多くの老若男女が苦しみ、傷つけられ、胎児は殺され、
>自然は泣いている
>
>自由を愛して、自分とは違う価値観を受け入れようとしながらも、
>自由に悩まされ、何でもアリに困らされているのは僕だけじゃないよね?
よく分かります。
人の価値観なんて、人それぞれ違っていて当然だけど、
自分の価値観と違うからと言って、相手が「間違っている」とは言えない。
逆のことも言えます。
相手の価値観と違うからと言って、自分は「間違っていない」。
でも、私はそれでも良いと思う。
こうしなさい、と、他人に言うのではなくて、
自分が周りに流されないために、
自分の価値観を声に出して言い続けているんだと思うから。。
p.s.今の「自由」は、ただの「ほったらかし」でしょうね・・・。
|
|