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≪厳しい意見はご遠慮ください≫
≪男性≫
≪20代≫
よく「自分らしく生きることが重要」ということを聞きます。そして、自分らしく生きていないと感じている人に対して、「もっと自分らしく生きるべきだ」というアドバイスをもよく見かけます。
私は今、ある意味自分らしく生きていると思います。今の私は周りから見たら友達もいなく、孤独に生き、休日さえも家でネットをやっている暗い人間のように見えるでしょう。事実、そのような陰口を聞いたこともあります。
少し前まで恥ずかしい生き方かもしれないと思っていました。一番信用していた友人に裏切られたのを皮切りに人間関係がうまくいかなくなり、狭い人間関係の中で生きてきました。その人狭い中でさえも、ちょっとした誤解からいさかいが起きてしまい、遂に孤独になったというのが、これまでの経緯です。
裏切った友人が私を見るたびに軽蔑の言葉と嘲笑を浴びせてくるのがたまらなく苦痛で、どこに行っても、特に社交的な場においては敬遠される自分が何かすごく惨めに思えていました。
ところが……自分の心に問いかけてみると、今のこの孤独な状態が非常に自由で楽しく、生きやすいのです。今までも何度か集団に属し、そこそこの人間関係を保てたこともありましたが、自分から放棄しました。
確かに人間不信や人間恐怖もありますが、何か集団で生きることがすごく息の詰まる思いをしてならなかったのです。
集団の中で力をもっている人のご機嫌を伺い、個性的といいながらも結局は皆横並びで同じことを強制され、何かおかしいと思っても反対派は徹底的につぶされ、派閥争いを繰り返し、自分の気に入らない人をちくちくいじめ……そういう集団生活が何か非常に矮小で陳腐なものに思えてきたのです。
それに比べて確かに孤独は孤独なりに辛い部分もありますが、それ以上に良い部分がたくさんあるような気がしてならなくなったのです。
おかしいと思ったことは周囲のことを考えず堂々と反論でき、特に媚へつらうこともなければ、迎合していじめをしなくてもよく、自分のやりたいことを満喫できます。
ところが……こういう生活は社会から認められないようで、就職活動などでは徹底的に否定され、面接で落とされました。私の持っている孤独の楽しみ方は一切理解されず、とかく集団生活にしか価値を見出せないようです。
心の中で「何て視野の狭いやつらだ」と見下すようなことを思ったりもしながらも、現実問題として金がないと生きていけず、仕事をしていないと信用もありません。
自分らしい生活を守ることはできないのです。自分らしい生活を捨てて、自分にうそをつきながら、ただただ人事担当者の価値観に合わせて生きるしかないのです。彼らが「金太郎飴はいらない」といいながらも、彼らは自分の中での価値観に合うような人材…結局は「人事謹製金太郎飴」になるしかないのです。
それが悔しくてたまらない!!
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