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ゆうゆさん、はじめまして、こんばんは。
僕もときどき立ち止まって、世の中を見渡す時に、
疲れた表情のサラリーマンや、表情すら忘れたような中高年の労働者、
化粧をする暇もないほどの主婦などを見た時、同じようにさびしいような
むなしい気持ちにあることがあります。
それでも生きていかなければいけないんだ、それが人生だ
生きていればいいこともきっとある、生きていてよかったと実感すること
まずは体を動かして働いてみれば、余計なことは考えなくなる
そう言う人たちもいますが、余計に情けなく聞こえます。
虚しさや絶望感は、ごまかすべきものじゃないと僕は思います。
それから逃げるために何かに打ち込んだり、それを忘れるために
何かをしなければいけない状況に自分を追い込んだりするのは
奴隷たちと変わらないものだと感じます。
今自分が感じている虚無感を正面から受け止めて、
じゃあ、自分は本当は何がしたいのか?と自分に問い掛けて
もしそこで何かを感じる事ができて、それに向かって一歩一歩進んでやろうという気持ちになれたら、ゆうゆさんが就職に失敗したという今の状況は、後から考えたらものすごくラッキーなチャンスだったと思えることになるかもしれません。
立ち止まることは、人生において必要な時もあります。
立ち止まって、虚しくなったときにこそ、見えてくるものもあるはずです。
それが全て悪いものだと感じて、死にたくなる人も、実際に死ぬ人もいれば
そこで何か光を感じて、本当の自分らしい生き方へ方向転換する人もいます。
両者の差は何か?
僕は「勇気」だと思います。
自分の本当の気持ちに素直になり、自分が本当にやりたいことへ踏み出せないことを周囲のせいにせず、どんなに不安でも未来を信じて一歩を踏み出す勇気です。
たったの一歩が、大きく人生を変えていくことになることもあります。
もし死を選んだとすれば、これは僕の感じたことですが、今と同じような、おそらくそれ以上に虚しさを感じる環境に生まれ変わってくることでしょう。
すすむべき道の光は どんなに小さくとも、必ず見えるものだと思います。
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