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モトさん、はじめまして、こんばんは
僕は迷った時は基本に戻ることを心掛けています。
どこを探しても探し物が見つからない時は、意外にも一番最初に思いつくところをもう一度見てみると、見つかったりすることもあるように。
科学などでも、Back to the basics という基本原理があると聞きました。
けれども、科学でも心理学でも、複雑な応用理論がさまざまに存在するのに、
それらの元となる基本理論はとても曖昧で漠然としているように僕は思います。
科学で言えば、宇宙の始まりがビッグバンであるという基本からスタートしていても、それは単なる仮説で何の根拠もありません。
心理学や精神医学でも、人間の心を扱う分野でありながら、心とは何か、命とは何か、魂とは存在するのか、などの基本理論がまったく曖昧で、宗教との境界線もはっきりと引かれていません。最先端の生物学者が魂の輪廻転生を唱えても、心を脳内ホルモンの作用という前提で扱う学者から見れば、それは宗教がかったものに感じられるはずです。
心の病をもつ患者の扱い方も、症状によっては精神科と心療内科に振り分けられます。これは僕にはとても不自然に見えます。喩えて言えば、街中でケンカをしている者同士が、柔道スタイルでとか、ボクシングスタイルでとか、いちいち意識したりはしないように、「心理学」というスタイルにこだわることが僕には不自然に感じられます。
しかし職業として成り立たせていくためには、「ケンカ道場」では生徒が集まるはずはなく、「関節技専門」とか「打撃専門」などの技術を教えて生計を立てるわけです。しかし、道場での練習試合と実際のケンカは違い、いくら人間の関節のしくみを知り尽くした達人でも、動物的な感性をもつ相手にその時の自分の体の弱点をかぎつけられて一瞬のうちに噛み付かれたら致命傷を負うわけです。
ノーベル賞を受賞した科学者のボーナム博士は、「本当のことは、直観によって知るしかない」と、まるで禅僧のような言葉を言いました。
カウンセラーである前に、臨床心理士である前に、精神医学者である前に、
科学も宗教も知らない一人の人間であることが自然なことのように僕は思います。
僕の義姉は精神科専門の看護師で、心理学についてもよく勉強していて、
「自分は患者を扱うのは現場の体験が一番大事だと思っていたけど、心理学の理論を学ぶことが現場に本当に役立っている」と言っています。
僕はそれは事実だろうと思います。ただ、生身の人間を目の前にした時には、知識や理論だけでなく、自然な感性も必要になると思います。それは残念ながらまだ現代文明では理論化されていないと思います。しかし地球上のさまざまな宗教は、人の感性を養うどころか、麻痺させて盲目にしているように思います。
方法やスタイルにこだわるのは、標識だけを見ていることと同じだと思います。
標識は一瞬見るだけにして、目線は常に標識が指し示す対象を見ていなければいけないと思います。目線のことを僕はフィーリングと呼んでいます。対象は「自然」です。
職業として成り立つものの中から、自分のしたいことを見つけるのか
自分が本当にやりたいことを職業にするようにしたいのか、
心の扱い方は、人生という学校で、全ての人間が生徒となって学ぶべきことだと僕は思います。
最初にカウンセリングすべき患者は自分自身であると僕は思います。
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