|
▼わんさん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪女性≫
>≪20代≫
私は、余命いくばくもない(?)ので、読みづらいものは読みません。
言葉は生き物で、どんどん変化してきた結果が、その時々の生きている言葉だと思います。だから変化しても良いと思います。そして、自然淘汰されて、残るものは残る、残らないものは残らないのだと思います。
言葉は時代と共に生きるものだとも思います。毎日のように新しい技術が発明され、生活には新しいものが入って来て、人と人との関係も今までに無かったような関係が見られるようになるかも知れません。そういう変化に対応できない言葉なら、それも問題です。
私のような、生きることのベテラン(?)は、なかなか急激な変化にはついて行けない感じがありますが、そういう人たちとのコミュニケーションと、同世代とのコミュニケーションとを使い分けることができるなら、問題は少なくなるだろうと思います。
私は、私が読みたいと思えない文章は、私のような人へ向けて書かれたものだとは思わないので、読みません。それは小文字を使ったものだけではなく、息を抜くところも見つからないようにびっしりと書かれた文章も、圧倒されて読む気力もわかなくなったりします。私にとっては、両方とも「読む気が起こらない文」で、読む気が起こらなければ読めません。だから読みません。
こういう人とコミュニケートしたいという奇特な若い世代の方がいるとすれば、こういう人に読んで貰えるような文章を書いていただけたらと思います。そうではなくて、同世代間だけのコミュニケーションで満足できるなら、それはそれで自由になされば良いだろうと思います。
|
|