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人生、というものはどうしても哲学っぽくなるので、
どうしても長文になって、わかりにくくなりがちですが、おつきあいください。
何言ってるかわからない!となっちゃうと残念なのですが、
それでもせめて一番最後には目を通していただけると幸いです。
楽しいことやいやなこと、つらいこと、皮肉なこともあれば、素敵なこともある。
だから人生なんだと言うとそれは的確なのですが、
本当につらい人にはただ聞こえが良いだけかもしれません。
でも、そうやって人生はバランスがとれていると思います。
ではなぜそうしないと人間バランスをとれないのでしょうか。
昔ヨーロッパ貴族は豪勢を尽くしました。街にはパンを食べることができなくて飢え死にする人がたくさんいました。
が、宮殿では有り余る食事。貴族達はあまりの会食の多さ故に、あっちの食事会で食べた物は次の食事会の前に吐いてしまい、次の食事会で食べた物はまた次の食事会の前に・・・というようなことをしていた程です。
その人達はあまりに裕福でした。裕福過ぎて裕福すぎて。一般の人からするとシアワセ、なはずなのですが当の本人達はちっとも幸せではなく、
それを紛らわせるために奇行に走ります。とてもここでは紹介できないようなえげつないものです。
有り余る物、お金、形式的な幸せという物は人をそうして破滅させてしまいます。バランスを失ってしまうのですね。
ではどうすればバランスがとれるのでしょうか。
それはあなた自身、私自身に答えがあるのです。
時につらかったり、落ち込んだり、悲しんだり、そしてもちろん喜んだり、楽しんだりすることです。
だから「いいこと」「悪いこと」が寄せて返す波のようにやってくるのはとても正常なことです。
そしてそれは人の感覚に植え付けられているのです。
いつでも人は「いいこと」「悪いこと」のゆりかごでゆらゆら揺らされるようにできています。
次はどうやってそのバランスを取るようになっているかを、私なりの考えですけど、ご説明しますね。
物事には必ず表があり裏があります。
「そんなことない!」と言われると元も子もないですが、これを力説するとさらに長くなるのでそうだと思ってください。
でもこの表と裏という物、場合によっては裏と表です。
あなたと私の間に白い紙が一枚あれば、果たしてどっちに向いている側が表なのでしょうか。
あなたにはあなたに向いている方が表、あなたにとっての裏側が私にとっての表です。
つまり状況によって、立場によって見え方が裏も表もどんどん変わってしまうわけです。
ここまでは良いでしょうか。
例えばお水があるとします。
お水はお水です。それ以外の何者でもありません。
何も飲んでなかった後のそのお水は最高の味だと思います。
しかし一級品のワインを飲んだ後では飲みたいとも思わないでしょう。
人間、その人の立場や状況や気分によって、お水はいろいろ姿を変えるのです。
楽しいこと、つらいこと、なぜ楽しいと思うのか、なぜつらいと思うのか。
一つはそういうからくりになっています。
何も飲んでない=つらいこと の後のお水は楽しいこと。
ワイン=楽しいこと の後のお水はつまらないこと。
でもあなたが本質を見抜く力を持っていればお水をつまらないものとは思わないことでしょう。だって「お水」は「お水」ですから。
しかし普通の人は同じ「お水」に心揺らされて、幸せになったり不幸になったりします。
今の状況が本当につまらない物なのか、いや、そうではないかもしれません。
実はとても大切な時間を過ごしているのかもしれません。
でもこうやって「いいこと」「悪いこと」の間をゆらゆら動いているのです。
ゆりかごの揺らし方にも大きなものから緩やかなものまで人それぞれです。
まりなさんはそれがちょっと極端なようで、それは確かにとても大変なことだと思います。
でも私の話しに少し共感できれば、きっと自分に起きていることを少し外から眺めることができるはずです。
今までと違う視点で物事を見ることができたなら、それはあなたが変わり始めることを意味するのでは?
その時きっと、ゆりかごがまりなさんにとって心地よい揺れ方をするようにできると思います。
それともう一つの大きな質問ですが、
「生きる」と言うことは何かを残すことと私は思います。
(人によっては悩みや疑問に答えを出すこと、という人もいると思います。
例えば「なぜ生きるのか」。これに答えを出すにはまず生きていなければなりません。)
生きる理由は人それぞれ。
そんなことは考えずに生きている人もたくさんいると思います。
しかし必ず生きた結果が社会に残っていく物です。
仕事をして誰しも生計を立てているのですが、仕事はどんな仕事であっても「作る」ことへ繋がります。
作った物は何かに使われ社会に還元されていきます。
人は社会に生まれます。
社会とは目に見えない物です。人と人のつながりが社会になります。
そう、「つながり」こそ社会なのです。
だからあなたがご両親のために生きること、それも社会を作る一つです。
それは社会に残る物です。
どうやって社会に残すか、その手段が生き甲斐の一つになると私は考えます。
さしずめ私は仕事とか、音楽聞くこととかですね。
なんだか難解になってしまって済みません。
でも最後に一番大切なところ、きちっとお返事しておきますね。
>生きるって何ですか?
>私って生まれてこないほうが良かったのではないのでしょうか?
つらつらと長い文章を書いてしまいましたが、それはあなたに、あなたの知らないことをもっと知って欲しいからです。
そうすればきっとあなたなりの「生きること」というものが見つかると思ったので。
それにあなたがいなかったらこうやって書くこともなかったですよ。
書くと自分自身で、自分の考えていることがよく見えてくるんですよね。
だから、あなたがいてくれてよかったなーと思うんですよ。
あなたがいてくれたからこそ私もちょっと自分の考えを新たにできたなって。
縁というやつでしょうか。本当にここでお話できたの、うれしいです。
(ちょっとお話と言うには一方的な会話ですが・・・)
何に対してでも、必死に一生懸命生きている人はとても素敵です。
だから、ご両親のために一生懸命生きてください。
時が経てばまた違うことにも尽くして生きていけるかも知れないし、それは生きてないとわからないのです。
それだけでも、十分に生きていく価値や意味になると思いますよ。
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