|
▼リアルさん:
>▼リアルさん:
>医者からは痛み止めを貰っていますが、あまり効き目がなくて
>医者からも「これは我慢するしか方法が無い」と言われてしまいました。
>この症状がどうして起きるのか今の現段階では解明できていないようで
>とにかく我慢と・・。だけどあまりにも手足がある感覚と(マヒしている感覚です)痛みがあるので、何かいい方法があれば・・と思って載せました。
幻肢は、神経系を司る脳が、失った部分について「失った」事実に対応できていないから起こると言うことぐらいは解明できているはずです。その事実について脳が修正できるためには、慣れるしかないだろうと思います。「慣れる」までは「とにかく我慢」と表現したのでしょう。なぜなら、脳を強制的に修正させることは、今は無理だからだろうと思います。
>
>あと人からの偏見の目に合わないようにする為にはどうしたらいいでしょうか。
>とても悩んでいます。平等に見て欲しい・・・。
>
他人がどう見るかをコントロールはできません。
まず、リアルさんがご自分の状態をそのまま受け入れて「偏見の目」や「劣等感」を持たないことでしょう。自分のことは、他人のことよりもコントロールが可能だから、まず自分のことを、そのままの自分をそのまま受け入れることです。
それができるようになれば、偏見を持たないことも可能だということも分かり、偏見を持っていない人がリアルさんを見たとしても、偏見の目で見られたと勘違いすることも少なくなるでしょう。世の中には、偏見を持っている人と偏見を持っていない人がいるものです。偏見を持っている人は自分で変わらなければ偏見を持ち続けるでしょう。それはそういう人だからです。
視線を感じたら、その視線を自動的に偏見の目だと見なすことがなければ、今よりは楽になるのではないでしょうか?
例えば、白い杖を使っている人を見て、視覚障害者として理解することは、それ自体は「偏見」ではないでしょう。そして、その人が困っているような態度をしているときに、必要な助けを提供しようとすることも「偏見」ではないでしょう。
同じように、手足が不自由な人をそういう人として理解することや、手を貸そうとすること自体は「偏見」ではないでしょう。「普通の人」として見て欲しいという気持ちは分かる気がしますが、リアルさんは、障害がない時に、肢体障害者を見た時に「普通の人」として見ていたのでしょうか?
私の場合は、見ただけで障害があると分かる人を見た場合には、障害がある人として認識しますが、人としてのかかわり方で言えば、普通の人と同じように話もすれば議論もするし、反論もします。
私の友人は、生まれつき(だと思う)足に障害がある人で、歩くだけでも不自由しているように見える人ですが、補助器具などはまったく使いません。自分の足に躓いて転ぶことが多いのですが、支えることも助け起こすことも拒絶するような人です。階段からも転げ落ちることがよくありますが、それも自分の日常のことだとして、助け起こされることも拒絶します。私から見ると、壮絶な生き方のように感じます。意固地になっているようにも感じます。私の感覚では、そう感じる私が偏見を持ってその友人を見ているという感覚はありません。彼の障害についても普通に話題にすることもあります。いつもそんな話はしませんが、その話題をわざわざ避けることもしません。
障害のある人と関わるときは、障害があることを無視することはしませんが、いつもそれを意識することもありません。
まずは、ご自身のことをそのまま受け入れてはどうでしょうか。そうすれば、実際に「偏見の目」で見る人以外には「偏見の目」で見られているという感覚もなくなるのではないでしょうか。
≪規約同意済み≫
|
|