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ririさん、こんにちわ。
そうですか‥‥ 辛い体験でしたよね。
そういえば、私にもあったんですね。 そんな状態の時期が‥‥
這い上がってきたのを感じたのは、去年の11月(あ、最近だ^o^;)
かれこれ2年ほど、ず〜っとどん底でした。
当時の心象ですが・・・
四方八方を全部コンクリートの分厚い壁に覆われた、ドアもない
何も無い、だだっ広い倉庫のような部屋の真ん中で、私は独り
ゴロンと転がったように横たわっている。
身にまとうものはなにひとつ無く、ただひんやり冷たくゴツゴツした、
コンクリートの床の上に横向けに転がっているだけ。
僅かな音さえ聞こえてこない。この世界にたった一人取り残されて
いるよう。 誰も気付かない。誰も助けてはくれない。
天井近くには小さな格子窓がたったひとつだけ開いていて、空は夕焼けが
終わった直後のようで、薄暗い空はもの寂しく薄気味悪い色になっている。
倉庫の中にはすでに、夜の暗がりが忍び込んでいて、私を孤独と絶望の
闇が飲み込もうとしている。 何度も何度も、何度も何度も、張り裂けん
ばかりに声を上げても、誰も気付かない。誰も助けてはくれない。
このまま永遠に闇の底へと沈んで、もう二度と朝は来ない。
・・・って感じでした。
その時期は、本当に生きてるのが辛かったですね。
私も「心が死んでしまった」みたいで、なにを見ても心が動かなくて
それこそ世界が全て灰色に見えた感じ。感情が全く湧いてこなくて、
まさしく生ける屍みたいでした(^o^;)
それでも仕事があるから「作り笑顔」は出来るんですが、楽しいこと
なんて全然なかったですね。
いつも明るく振舞っていたから、周囲は誰も知らないですけどね。
多分、子供の頃にもそういう心境を味わった事があっただろうなと
思いますが、忘れてしまってましたね。 生きるのに必死で(笑)
今でも必死だけど(^-^;)
でも仕事のおかげで、なんとか乗り越えられてきた気がします。
やはりあの時期の体験は、とても意味深いものだったと私も思います。
私は人一倍負けず嫌い(自分に対して)が強いので「鬱」とは自分で
認めたくない気持ちもあったかも知れないけど、「鬱」を認めてしまうと
頑張れなくなりそうな気がしたし、たとえ「鬱」と認めても、休息は
出来ない。やらなければいけない事は、どうしたってやらないといけない
って現実があったから(子供を飢えさせるわけにはいかないから)
だから、踏ん張りきってしまいました(^o^;)
神様はやっぱり、ちゃんと見守って下さっているんだと思いました。
「鬱」の苦しみは、神様の抱いている慈悲の苦しみかも知れないと。
それを神様から味あわせてもらったのではないかと思う時があります。
誰しも神様と魂では繋がっているそうですから‥‥
前向きに、都合のいいように解釈してしまうのが私です(笑)
一人一人に、自分の使命ってあるんだと思います。
寿命をまっとうする事も、その使命のひとつだと思います。
苦しいこと、人生で沢山あります。 きっとこれからも。。。
でも一歩一歩自分の人生、自分で納得の行くよう歩みたいものです。
≪規約同意済み≫
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