|
▼雲の子さん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>
>
>分からないけど、私明日死ぬかもしれないです。
>病気とか身の危険があるとかじゃないです・・・
>私分かるんです。多分あと一月生きてないような
>感じがする。
>
>
誰でも死ぬまでは生きているものです。
逆に言えば、生きているものはいつか死ぬのです。
いつ死ぬかは分かりません。
私は3年ちょっと前に死んでいたかも知れません。
他にも死んでいても不思議ではないということが何度もありました。
そして、誰でも一時間後にも生きているかどうかは、確実には分かるはずがないことです。健康な人が突然死(原因が特定できない死)することもあるのです。
アメリカでジョギングを流行らせた張本人の著者が、老年に達する前に毎日恒例のジョギングの最中に死んだということもありました。
だから、「今日死ぬかも知れない」のは、誰にでも共通することでしょう。それを感じるか感じないか、「今日死ぬかも知れない」ことを知っているか知っていないかの違いがあるぐらいなのではないでしょうか?
平均すると、年長になればなるほど死亡率が高まりますが、個個人のレベルでは、いつ誰が亡くなるのかは分かりません。年令の順番ということもないのです。
だからこそ、何歳であっても毎日を充実した生き方をするように勤めるのが望ましいのです。皆生きるのは「今」だけだからです。そして最終的にはその「今」として死ぬのです。
最後になりましたが、「今日死ぬかも知れない」の中で一番大事な事実は「知れない」ということです。誰も知ることができないのです。だから「虞れ(おそれ)」を「恐れ(おそれ)」や「怖れ(おそれ)」として意識していては、充実した生を生きることはできないので、もったいないことになります。
喜びながら、楽しみながら、感謝しながら生きて、満足しながら納得し感謝しながら死んで行くことが一番です。「虞れ(おそれ)」を「恐れ(おそれ)」や「怖れ(おそれ)」だと誤解しないことです。
>
≪規約同意済み≫
|
|