|
Spoonさん、はじめまして。
あなたのまっすぐでありたいと言う気持ちがよく伝わってきます。
とても素晴らしいですよね、出来る限り良き事を貫きたいという思い。
そこにきて大多数という絶対圧力とも思える力の大きさに耐えかねてるみたいな。
それも、あなたのような信念の持ち主であれば避けては通れない道なのかもしれませんね。
でも、揺れている自分を「悪に染まりかけてる」「信じる心が弱かった」と毛嫌いはしないであげて欲しいんです。人が痛みを知る事でさらに優しさの大きさを知るように、この出来事は自分がいい事をしたいという素晴らしさを更に実感できるようになる為の機会を頂いたと思った方が前に進みやすいんじゃないかと。
それと「こんな自分も自分なんだ」って言う事を認めてあげて欲しいと思うのです。甘やかすためじゃなくて、次に同じ事になった時に、あの時あんなだったけどそれでも自分はここまで来れたという動機付けを持っておく為です。乗り越えやすくするため、というか。そこで認めなかったら自信より自己嫌悪の思い出を一つ作ってしまう。思い出は自信のほうをいっぱい作っておくべきだと思うんですね。
友達の「いい子ちゃんぶるな」という発言に対して、彼らの中にその行為をどう定義したかったか、考えてみるのもいいかもしれません。
いい子=恥ずかしいという彼らの主張には何が隠されているんだろう?
少なくとも、いい子でいる事が「悪」と断言はしてないわけですよね。単に
「恥ずかしい」。と言う事は、彼らはごみのポイ捨てがいけない事だって少しでもわかってるんじゃないか。
だとしたらどうしていい子になるのが恥ずかしいって感じたんだろう。
もしかしたら「いい子=まじめ=女の子にもてない=恥ずかしい」例えば(これはあくまでも例ですけど)こんなかわいい動機だけで思い込んでるだけかも。
色んな考え方をしてゆくことで自分に余裕を持つことも必要かもしれません。
又は、じゃあみんなを恥ずかしがらせないようにいい事するには自分に何が出来るんだろう、と考えてみたりとか。
何もいい事って一つだけの方法でしか出来ないわけではない。色んな方法を探す事も楽しいかもしれません。楽しくしていればどんな事だって辛くは感じないですもの。
≪規約同意済み≫
|
|