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▼ココノさん:
>≪厳しい意見はご遠慮ください≫
>≪女性≫
>≪16〜19歳≫
>知的障害の方への差別になりますが、聞いて戴けたら幸いです。
>
>
>先日、バスに乗っていると知的障害の方がひとりで乗って来ました。その人とは何度か同じバスに乗ったことがあるのですが、乗ってきた瞬間にバスを降りようかと思ったくらい、以前からのトラウマが残っています。
>
>というのも、その人は男性の方なんですが凄い大きな人なんです。180センチくらいあると思います。
>その人は、いつもわけのわからない言葉を大声で連発して、バスの中に嫌な空気を漂わせます。そして、自分の手で頭を何度も何度も殴って手に付いた血を舐めるんです。
>
>
>運転手や他の乗客に手をあげたり、ちょっかいを出すという事はしませんが、恐くて仕方ありません。
>この知的障害の方も望んで傷害を持ったわけではないので、責めれないんですが、なんで一緒に一般のバスに乗れるのか理解出来ないんです。
>
>
>野放しという言葉を使うべきではないですが、付添い人の人とか付いているもんじゃないんでしょうか?
>大声をあげたり、自分を殴りつけて血まみれになるって知的障害の方でも重度の方じゃないんでしょうか・・?
>恐くてバスには乗れないし、他の知的障害者まで差別的にみてしまうしで、頭の中がいっぱいいっぱいです。
>
>
>どうすることもできないんでしょうか?
>
>長々とすみません。誰かに聞いていただきたかっただけです。
>ありがとうございました。
>
>
>≪規約同意済み≫
こんばんは^^
大変な思いをされたのですね。
今後、少しでも不安が取り除かれれば幸いです。
基本的に極度の場合は付き添い人やワーカーが傍にいることが多いようです。
でも、現実社会ではそこまで行き渡ってはいません…
それが現実です。
付き添いがつけないような事情が家庭にあったり、もしくは経済的な
面でいろいろあったり、と事情が複雑です。
これも家庭の問題だけでは処理できないとやはり行政・福祉に手を
かけてもらう事しか方法はないのですが、実際、福祉や行政も
手一杯な状況ですべてに対処するのはほぼ不可能な社会、だと断言しても
よいと思います。
極度にしろ軽度にしろ、様々な障害者は増加している日本でもあります。
まるで福祉国家なスウェーデンでさえ泣いてしまうような現状が訪れるやも
しれません…
いろんな面に補填できない日本。経済の事しか頭がない日本。
その象徴でもあります…
昔、かなり昔ですが、かつて精神・知的障害者は山奥や僻地の医院のような
まるで監獄様な処で一斉に隔離されていた時代があった、と老両親から
聞いた事があります。
少しでも変だと思われたなら即、そんなところ行き、というおそろしい
時代があったようです…
そんな彼らの悲しい人生を想うと、今の障害者はある意味恵まれた環境に
いるのかもしれないと想ったりするのです…
自立の時代。人権を尊ぶ時代。そんな背景に今の日本は発展しました。
いろんな人の人権を考えると、それは悲しい事ですが、みな平等
という理想は崩壊せざるをえません…
みな平等、という理念は一体どこから根拠とされるのでしょうか…
それとも、昔のように、またみなを一斉に隔離すべきな時代が訪れたのでしょうか?
差別、というより区別。
区別なら、その区別に対しての私達の捉え方をどのように心情的に変化させるべきでしょうか…
難しい課題が山積しています…
こればかりは時間が解決する、という訳にはいきません…
横道脇道それまくりでごめんなさい…
≪規約同意済み≫
≪規約同意済み≫
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