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知的障害であっても、移動が自立していれば家族はそれだけでも喜ぶと思います。
ただし、家族は自損行為に慣れていても、そういう環境を目にしない人には理解が難しく不安や恐怖を呼びますよね。
家族が他人のそういう不快な感情まで配慮し、つきそいをして他人に不快な思いをさせないようにするのか、それとも配慮できるゆとりが無いのか。。。
私は電車の中で意味のわからない暴力を振るわれたことがあり、それからは意味不明の言葉を言う人が同じ車両に乗っているとすごく緊張します。
その時は家族は一体なんでこの人を一人で電車に乗せたんだと憤りを覚えて、その人をひっぱって警察まで連れていって「家族に迎えにきてもらうようにしてください。こんな状態で外に出さないようにしてくだいって言ってください」ってやりそうになりました。
結局は関わりあいたくないという気持ちが強かったが、あと一回殴られていたらブチきれてやっていたかもしれません 苦笑
障害を持っていようと不正に容赦はしない。普通の対応をしないことが差別になるんじゃないかっても思います。
今まで知的障害が重度の人は国立の施設で生活していましたが、制度が変わって施設を廃止し、一般の社会に住むことになるようです。
親からすれば放り出すことは死ねというようなもんのだと、抗議行動が起こりましたが、決定は覆りませでした。
他人や自分に暴力を振るう人は今まで拘束服をきせられ被害を極力抑えていました。
自分を叩く人は手にクッションをつけて、叩いても怪我をしないようにしていました。
しかし、それら拘束はいけないという事になり、施設の人はもっと高度なレベルによる対応を迫られています。
(自損する人を拘束無しにどうやってやめさせることができるのか など)
そういう特別な教育を受けた人が働く職場でも頭を抱える問題であるのに、一般の障害に対する教育を受けていない人は、その現場に出合ったときどうすればいいのでしょうね。
今から障害者に対する教育を義務教育の中に取り入れていくようになるかもしれませんね。
多少教育を受けている自分でも、時にはもう勘弁してくれとブチきれそうになることがある。
でも、人によってはやりあっていいんじゃないかって言います。
障害者だから という理由で普通の対応をしないことは差別だとすれば、もっともだって思います。
普通の社会でもお互い主張が食い違い喧嘩をします。
いくら言い合っても平行線を辿るが とにかく言い合います。
障害者だから言っても無駄だから ってのはやっぱり差別になるだろうと思う。
ああ、でも血が流れていたら、やっぱり近寄れないだろうなぁ。
どうアプローチしたらいいのかわからないし。
難しいですね。
自損行動にメカニズムを知れば、もしかしたらそれを見ても不安や恐怖は少なくなるかもしれない。
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