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シリアスさん、こんにちは。
>他人と競争しあわない関係・・・なんて作れるんでしょうか?やっぱり多少の競争比較はあってあたりまえですか?
>競争する気がないのに競争心をもたれて優越感にひたる態度のひとはどう思いますか?競争心を持つのは自由ですか?
>優越感みたいな態度を出してくる相手がいやです。つぶしあいの関係になるようにおもいます。
>子どものころからのしりあいはなぜかみんな競争相手になってしみました。だからおたがいつぶれてほしいとおもってるんです。
例えばプロゴルファー。賞金王いっぱい取って、いっぱいテレビでもてはやされて。しかしそれをやっかんだプロレスラーが一方にいるとします。
負かすために自分と勝負させようと必死になる。スポーツ選手のはしくれだろ、意気地が無いんだな、その理屈だけ。
そこで私はプロレスなどやらないからそんな勝負を受けては立てませんといえなくて、傷ついて辛くなったゴルファー・・・・賢明な判断でしょうか。そんな理不尽な勝負になぜ挑むんでしょう。それが普通の流れでしょうか。
逃げられないから、というよりは「スポーツ選手の端くれのくせに」という言葉に流されてしまったがためともいえないか、そう思えますが・・・・・。
勝負を受けて立たなければ競争など成立もしないし、そこで張り合う側が成立した、勝ったと思い込むのは単なる「ひとり芝居」「妄想」ではないでしょうか。
妄想世界と現実をごっちゃにした人を、哀れみこそすれどうして悔しがるのでしょう。しかもそんな人が優越感に浸るところを一生見続ける義務は、誰にも無いものでは。狂った相手からなら逃げたって負けとは言えません。最初から勝負にも競争にもなってませんもの。
>つぶしあう関係しかつくれないのでしょうか?
>心がいたいです。
競争で一番大切な事は「一生の勝ち・無敗の勝負はありえない」そういうことです。
それ一つをよりどころにし、それを毎回求めようとする人、そしてその相手を続ける人だけが傷つくのです。
>大人になってから少し助け合いみたいなものをかんじたこともありました。仕事とかも。これからも競争してつぶしあうだけの関係になるんでしょうか?だれにもあいたくないです。自分が失敗すると喜ぶ。がんばるとうらまれいじめられる。このくりかえしです。
楽しく競争するには・・・「内容に惚れる」事じゃないでしょうか。
勝っても負けても、勝負は楽しい。勝負事の内容の素晴らしさ、そして「心を込めて取り組む」自分自身が好きなのだ。好きなことを追究しながら自分が強く大きくなれるから好きなのだ。
そんな風に、相手の負けだけを望まない形には苦しまない競争は存在するかもしれません。
勉強だったら勉強の中身に惚れ、仕事であれば仕事の内容に惚れ、容姿であればおしゃれの意義に惚れる。
人同士の争いなら、自分の中身に惚れ込む事、じゃないかと思います。
その上だったらいくら勝負を受けて立っても、傷つく事はないのですけど。
>まだみんな競争してるんでしょうか?だるいです。おもしろくないです。相手の事を素直にほめたり評価したりできない自分はわるいやつでしょうか?心の傷が素直になれないようにします。自分を傷つけた相手をほめたり高く評価するわけないだろうと思います。そんなことしろって方が拷問です。いやがらせです。
>嫌いなやつをほめれますか?
>
自分にはその役目はありません、よそでどうぞ。
そう言ってしまう事は融通が利かない行為で人間として失格だ、そういう思いがあるのだと思います。
では、銀行で他業者のカードしか持ち合わせていず窓口で取り合ってくれなかったとしてその会社は失格でしょうか?その会社の従業員さんが力になれなかったことを悔やむべきでしょうか。
畑に稲を植えられ、上手く育たなかったらそれだけで稲か畑は自然の摂理に反したと咎められるべきでしょうか。シリアスさんがその中に出した銀行の従業員や稲や畑のような立場にはあてはまらないと、言えないとは思いませんか。
競争、勝負を不毛にするも向上の鍵に変えるも、その人次第だということです。
しかもより良い方法はたくさんあるものなのです。
≪規約同意済み≫
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