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▼masaさん:
私を弱くないといってくれて、否定しないでくれてありがとう。本当にほっとしました。
確かに私は、親に言い倒されてしまう傾向が大きいです。というより小さい頃から、親だけではなく激しく言われたりすると自然に心をシャットダウンしてしまうというか何も感じないようになってしまうといったほうが正しいでしょうか。不思議な感覚かもしれませんが、激しく叱られている私と叱られて無い私と二人に分けてしまって苦しい状況はもう一人の私に任せた状態にしてしまうみたいです。叱られている私に向かって叱られていない私は「紫の上ちゃんはかわいそうねぇ」と他人事のように見ているときがあります。
そしてきっとプレゼンは苦手だと思います。弱腰なところがあって相手に自分を認めさせる前にとりあえず謝ってその場をやり過ごしてしまうので…。文字にするとなんて嫌な性格だと思いますが事実なので仕方が無いか。でも身に着ける努力はしたいですね。相手に対して逃げるのではなく積極的な防御ができるようになりたいですからね。
いずれは家を出たいとも思います。ただ虫がいい話かもしれないけれど、私が家を出ることで大きな混乱になることは避けたいです。私の行動で誰かを激しく傷つけてしまうのならば、辛いなと思ってしまいますし、結局は実現が遠のくから。私一人が我慢すればすべてが丸く行くのではないか。この考え方は私にとって長所でもあり短所でもあると思います。自立のためには痛みを伴う覚悟が必要かもしれません。
私は一人っ子なので将来親に対して責任を持つことになります。弱った親を愛せるか今の私には正直分かりません。そのためにも少しねじれた親子関係を修正しなくてはと思いますが、masaさんが言うとおり私は親に心を開いてはいないと思います。我儘かも知れませんが私は昔、親にして欲しかったこと、甘えたかったこと、抱きしめて欲しかったことなどを今でも叶えて欲しいと思っています。それも親以外の『優しそうなお姉さん』に私の中で癒される対象なのでしょうね。親にして欲しかったのに、親以外でないと嫌なんて矛盾しているのもいいところですよね。自分の弱いところを親に隠すようになったのはいつからでしょうか…?
私は小中といじめにあってきました。小学校と中学校は学区が違うところに行ったのですがいじめにあってしまいました。いじめをしていた人たちに対して恐怖と理不尽さ不愉快さに怒りがこみ上げて怨んだこともあります。先生方も助けにならず嘆いたこともあります。私もmasaさんと同じように言われたこともあります。あきらかにいじめなのに「喧嘩はやめましょう」と言ったり、これは親も言ったのですが「いじめられるほうにも責任がある」と言った人もいました。「被害妄想が強い。取り方の問題じゃないか。」そういう部分がまったく無いとは言いません。けれどショックでした。先生にも色々いる。本当にそう思います。でも人を恨むと心が凍えてしまって私の心が薄汚れる気がしました。綺麗事かもしれないし良い子ぶりっ子にみえるかもしれないけど…。
私は人間を信じたい。人間を嫌いになりたくない。
≪規約同意済み≫
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